「ステイ・ホーム」が終わったら
GWも終わりましたが、今年は新型コロナウイルスの影響で皆さん「ステイ・ホーム」でご自宅にこもっていた人がほとんどだったと思いますが・・・。
「非常事態宣言が終わって、出かけられるようになったら行ってみたい場所があります。」って人も多いと思います。
私事ですが、2~3年ほど前より埼玉県行田市に仕事で行く機会が多くなっていましたが(最近は週一回のペースでお客様の現調・見積に行く)しかし、自分の知識では「行田市=足袋の街」くらいしかイメージ認識しかなかったのですが、某ホームセンターの近くに史跡が多くあることを昨年知りました。( ゚Д゚)⁉おそっ(;^_^A
中でも映画「のぼうの城」で取り上げられた【忍城(おしじょう)】日本の城20選にも入っている難攻不落の城といわれており、多くの歴史ファンが訪れる人気スポットとのことです。
月に何回も市役所や城の近くを車で行ったり来たりしていたのに全く気にも止めていませんでした。
この行田にある忍城は、土塁と水堀により区画された東西約2.2キロ、南北1.5キロの城です。
忍城の「御三階櫓」は、昭和63(1988)年に再建され、現在は展示室や展望台として行田市のシンボルとしてその役を担っています。天守や櫓といった構築物だけが城ではありません。他にも城を形成する要素には「土塁(土を盛った防御壁)」や「堀」といった身を守り敵兵を侵入させないための工夫があります。
かつて忍城にあった大沼の跡とされる「水城公園」の池が残っています。
例えば門跡には「碑」が設置されこの場所の役割を示しています。
=忍城の歴史=
天正18(1590)年、豊臣秀吉によって行われた小田原征伐では秀吉が関東を平定するため関東各地で北条氏討伐の戦が行われていました。
忍城が一躍有名になったきっかけは、小田原討伐の際に石田三成が指揮した「忍城攻め」です。
この三成が仕掛けた作戦がすごいのです。
周囲を沼地に囲まれ、攻めにくい低湿地にあった忍城を攻略するため、秀吉は三成に「水攻め」を命じたそうです。
三成は行田が一望できる丸墓山古墳(さきたま古墳群)に本陣を置き、周囲総延長28キロともいわれる「石田堤」の築堤に取り掛かり、近くを流れる荒川などの水を引き込み忍城ごと沈めてしまおうと画策したのです。
実際には城の場所は地形的にやや標高が高かったため水が入ることはなかったようです。
水に囲まれた城の姿はまるで湖に浮いたようだったと軍記物にかいてあります。
2万3000余の石田軍は約3000の兵が籠る忍城を落城できないまま小田原討伐という戦いが秀吉の勝利で幕をとじました。
数ある城の中でも、持ちこたえられた城は忍城だけだったといいます。
「これで難攻不落の所為なのです。」
因みに忍城のお土産屋さんで難攻不落=落ちないことから「落ちないお守り」は特に受験生や就職活動生に大人気とのことです。
車で足利市から約一時間です。
出かけられるようになったら、ご家族や友人同士でぜひ行ってもらいたいスポットです。歴史に興味のない方でも気持ちが少し高ぶると思います。
しかし、忍城には彼女にしたい女性やガールフレンドと行かない方がよいかもしれません。
だって・・・
「落ちない城なんですから!」トホホ。。。(´;ω;`)ウッ…
冗談はさておき・・・早く自由に気兼ねなく、マスク無く出かけられるようになればと心より願っております。